遺族だより 第3号 ~慰霊友好親善事業に参加して~
慰霊友好親善事業に参加して:栗原 スミ子
日本遺族会が実施している、戦没者遺児の慰霊巡拝に参加され、中国を訪問された
会員の栗原スミ子さんから投稿をいただきました。
コロナ感染が始まる約1年前,2019年3月22日から3月30日迄、日本遺族会主催の
戦没者遺児による慰霊友好親善事業に参加し、中国に行って参りました。
戦没地域により、A B C班に分かれ、それぞれ8~9名の遺児と団長、看護師、添乗員のグループで行動しました。私のグループはA、上海から鄭州、石家荘を廻り、最後は北京に全グループ集合し、北京から東京に帰ってきました。
中国では、屋外で堂々と慰霊祭を行えないそうで、昼間はバスでそれぞれ亡くなられた場所(病院など)近くで、該当する方だけがバスを降り、一輪のお花を置いて黙祷するという形でした。その後、夜ホテルで祭壇が作られた団長の部屋に全員集まり、該当する方のお父上の慰霊を行いました。
私の父は山西省南吉村で戦死しております。3月26日(この日は偶然にも母の祥月命日で、何か天の計らいを感じました)、実際その地に行って感じたことは、小さいけど想像以上に小綺麗に整備されていたことです。
父は亡くなった時、体に多数の銃弾を受けていたそうですが、今はそうした悲惨な過去があった場所だということを微塵にも感じさせないものでした。その夜、鄭州のホテルの団長の部屋で、父の慰霊祭を行っていただきました。
(その年の暮れ頃から、違った形での中国発ウイルス戦争が発生し、未だに終息のメドが
立っていないことは非常に残念な思いです)
最終日は北京に全員が集まり、それぞれのバスで万里の長城や市内見学をしました。万里の長城では各自一本ずつ植樹をしましたが、2年経った今は少し成長しているのではないかと思います。
昔、母が一度中国の地を踏みたいと言ったので、1985年に兄と三人で中国を訪れましたが、その頃に比べ驚くほどの変貌ぶりでした。北京最後の夕食会では日本大使館の方々三人も参加され、和やかに中国最後の晩餐を楽しみました。
全員無事に慰霊の旅ができましたことは、日本遺族会の方々や関係された全ての方々の
ご協力のお陰と感謝しております。ありがとうございました。 栗原 スミ子